戦国の悲哀を味わった井伊直盛・直満兄弟とその子井伊直親(亀之丞)の生涯

2017年のNHK大河ドラマ「女城主・直虎」の主人公は、柴崎コウさん演じる井伊直虎ですが、彼女を取り巻く井伊家の面々については、歴史が好きな人にもあまり知られていない存在ではないでしょうか。

後に徳川四天王の一人に数えられる井伊直政や幕末に大老に就任して桜田門外の変で打ち取られることとなる井伊直弼といった傑物を輩出することになる井伊氏ですが、もともとは遠江の小領主として戦国の世を綱渡りで生き延びていくしかない存在でした。

そこで今回は、直虎の父親である杉本哲太さん演じる直盛、その弟の宇梶剛士さん演じる直満とその子で三浦春馬さん演じる直親の3人の生涯について順を追ってみていきたいと思います。

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1.井伊氏について


井伊氏は、藤原氏の後裔を称しており、古くから遠江の井伊谷に根を下ろしてきた一族です。南北朝時代には、南朝方について北朝方の今川氏などと幾度も争ったようですが、やがて北朝優勢になるにつれて、土着の国人となっていきます。

1492年には、駿河の今川氏親(義元の父)が遠江に進出し、これに対抗して井伊氏は他の国人領主らと協力して抵抗しています。しかしながら、勢力の大きな今川氏と争うには力が及ばず、次第に遠江は今川の支配権となっていきます。ここに及んで、当時の当主である井伊直平は今川氏に臣従することを決断しました。

もっとも、その後も今川氏との関係は微妙だったようで、そのことが後に井伊氏に幾多の辛苦をなめさせることになります。

2.井伊直盛・直満の誕生と花倉の乱


井伊直盛は、井伊氏当主である直宗の嫡男として、1526年に誕生しました。前述の直平は祖父にあたります。なお、生年については諸説あるようです。弟の直満が生まれたのは、その後であるはずですが、こちらの生年についてははっきり分かっていないようです。

直盛が生まれた1526年、主家の今川家では、氏親が死去し、その子の氏輝が後を継いでいます。しかし、若年であったため当面は後見人として実質的な政務を氏親の妻である寿桂尼が取り仕切ることになりました。やがて成長した氏輝は自ら親政を行うようになるのですが、1536年に若干24歳にして急死してしまいます。

氏輝には、栴岳承芳と玄広恵探という僧籍に入っている2人の弟がおり、後継者の地位を巡って争いが勃発します。花倉の乱と呼ばれるこの争いは、結果的に寿桂尼や太原雪斎といった有力者の支援を得た栴岳承芳が制することとなり、還俗して義元と名乗ることになります。

3.父・直宗の戦死と直満の自害


乱を治め当主としての地位を固めた義元は、三河への進出を図り、これに従軍した直宗は1542年に田原城の攻城戦で戦死してしまいました。

これにより、直盛が井伊氏の当主となるのですが、直盛には男子がいなかったため、弟の直満の子である亀之丞を養子に迎え後継ぎとしました。

しかし、その直後の1544年、今度は直満に謀反の疑いが持ちあがります。真相は定かではありませんが、どうやら家老である小野政直が讒言したようです。これにより義元の怒りをかった直満は、自害に追い込まれてしまい、その子である亀之丞も命を狙われて武田領へと亡命することを余儀なくされました。

これ以降も直盛は今川氏に仕え続けていますが、肩身が狭い思いをしていたであろうことは想像に難くありません。

1555年、亡命していた亀之丞が成年に達し、直親と名をあらためて井伊谷への帰還を果たすと、直盛は娘(直虎)と婚約させ、改めて自らの後継者としています。

4.桶狭間


駿河、遠江に加え、三河も勢力圏に組入れ、「街道一の弓取り」と呼ばれるまでになった今川義元は、1560年、更に尾張への侵攻に着手します。尾張は斯波氏が守護を務めており、これまで守護代である織田信秀によって義元は散々苦しめられてきましたが、その信秀は既に死去しており、後を継いだ信長はうつけ者という評判が立って国をまとめきれていませんでした。

この機に乗じ、義元は一気呵成に尾張を抑えようと大軍を以て侵攻します。直盛もこの戦いに従軍するのですが、よく知られた通り、戦いは寡兵の信長が桶狭間(正確には田楽狭間)で休息中の義元本陣を急襲して討ち取ることに成功するという誰もが予想しなかった結末を迎えます。

戦いの最中に直盛も戦死してしまい、これによって当主を失った井伊氏は、直盛が定めた通り直親を後継者とします。

5.直親の悲劇


家督を継いだ直親でしたが、義元を失った今川氏は後を継いだ氏真が器量に乏しく、信長や三河で独立した松平元康(後の徳川家康)、甲斐の武田信玄などの攻勢を受けて急速に勢力を失います。

これにより権力の空白地帯となった遠江は、遠州錯乱と言われる混乱状態に陥ることとなり、その中で直親には元康への内応の嫌疑がかけられます。これは、小野道好の讒言によるものであったようですが、この道好は直親の実父である直満を讒言して死に追いやった小野政直の嫡子です。歴史は繰り返すという言葉を思い浮かべずにはいられません。

自らの嫌疑について申し開きをするべく直親は氏真の下に出頭しようとしますが、その途中で殺害されわずか29歳にして命を落とすこととなりました。

当主を失った井伊家では直親の妻が直虎と名を改め家の存続を図りますが、近年、この直虎は実は男であったという見解も唱えられています。いずれにしても、井伊家が歴史の表舞台に登場するのは、直親の子である直政の元服を待たねばなりません。

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